今日はまた新しい方とお会いして、作曲についてお話ししてきました。やっぱり、自分自身にとって教えることって天職なのかなって思います。ちょー楽しいもんね。
何より教えた人が変わる姿を見れるのが一番嬉しいですね。「僕が」変えたんだ、みたいな(あとはほんの少しの承認欲求なのかしら)。
…さて、今日の内容に行きましょう。
名(※自称)実(≠教師)ともに先生のぴよたくですが、教育者の端くれとして色々な人に色々なことを教えていると、あたかも自分自身に権威があるかのように感じてしまうことがあります。
「きゃー先生すごいー!(黄色い声)」「すてきー!(黄色い声)」みたいなことを言われ続けていたら、嫌でも「俺すごいんだな」って思う瞬間が来るはずですよ、皆さん。
そうすると、おおよそ威張り出してしまうんですよね。まさに天狗。
いやー、自戒自戒。
でも考えてみれば、すごいのってそのジャンルだけで、少しそこを離れてしまえばすごくも何ともないんですよね。
でも考えてみれば、すごいのってそのジャンルだけで、少しそこを離れてしまえばすごくも何ともないんですよね。
よくドラマとかで見ません?
「きっ…貴様! 俺にこんなことをして、タダで済むと思うなよ!!」
「きっ…貴様! 俺にこんなことをして、タダで済むと思うなよ!!」
ってやつ。
つまり"貴様"にとって"俺"っていうのは権威でも何でもないんですよね。
改めて言いますが、どれだけ威張っていようと他のジャンルではただの初心者なんです。僕は運動についてはからっきしダメだし、茶道も建築も、今やってる簿記も全くわからないです。
でも教育者だからこそ、色々なことを分からないなりにやってみることって大事だと思うんです。
「初心忘るべからず」という言葉がありますが本当にその通りで、今自分が教えている目の目の生徒は、ほんの少し前まで初心者だったんですからね。
それを考えると「こんなことも分からないのかよ」「何考えてんだお前」なんて言葉は言えるはずがありません。教えられている側は余裕でやる気が無くなります。
僕は最近簿記をやっていますけど、上に書いたようなことを言われたらモチベーションは普通に下がります。逆に燃え上がる人もいるかもしれませんが。
ところで、世の中には胸を張って堂々としていて、かつ鼻を高くしている人もいますが「実るほど こうべを垂れる 稲穂かな」という言葉があるんですよね。
いい言葉だと思います。謙虚であれ、ってことでしょうか。老害とだけは呼ばれたくないですよね。
でも、この言葉の真意は「実るまでは垂れるなよ」ってことだと思うんで、あなたが苗レベルなら謙虚に行き過ぎない方がいいです。余裕で埋まるので。
最初のうちは教えてくれる人に噛み付くくらいがちょうどいいです。それで教えてくれる人にボコボコに打ちのめされて成長しましょう。一緒に。
要するにそういうことですよ。ちょうど同じようなことを1年前にも書いているようですが、これ頭狂ってんのかっていう文章ですね。
思考を文章にまとめる、という部分はほんと苗レベルなので、どうかご教授願います。
ではでは、荷造り作業に戻りますね。
近々田んぼも山も何もないコンクリートジャングルへ引っ越すので。
近々田んぼも山も何もないコンクリートジャングルへ引っ越すので。
それではまた!
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