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2015/01/26

relaxation

おはこんばんにちは。「卒論」が終わりません。サボってないで早めに取り組めばよかったなと今さらながら後悔しています。皆様にちょくちょくアクセスしてもらえているので、ちまちまと更新したいと思います。






 「卒論」ね、どうしてカッコ書きかと言いますと、私たち音楽科は卒論を提出する必要がないためです。主論文にあたる演奏もしくは作品と、自分の演奏する曲や何かテーマについてまとめた副論文を音楽科の教授に提出すればよい、ということになっています。そのため、締め切りは他より長い2/10に設定されています。つまり今私が苦戦しているのは「卒論」ならぬ副論文であり、実を言うと作品は出来たも同然なのです(おそらく録音するだけ)。
 ところで副論文のテーマは「作曲におけるテクノロジーとその可能性について(仮題)」と設定しました。この4年間、いや私が音楽を始めてから、常に機械が、私の想定する音楽の中にはありました。そうしていつも生の楽器との差異について考えさせられていたのです。キーボードのピアノの音色はどうも貧弱で、サスティンペダルほど音が伸びないし、鍵盤数も61しかない。楽器の練習は大変なのに、パソコンでのDAWソフトへの打ち込みは何て楽なんだろう、そして(ほぼ)いつも完璧に演奏してくれる。アコースティックギターは暖かい音がするけど、エレクトリックギターは壁一枚隔てたところで鳴っている気がする、などなど挙げるとキリがありません。これは私が多くの音楽をつまみ食いしており、他のクラシック音楽家とは異なる立ち位置にいるため考えるのでしょう。友人たちは私ほど深刻に考えてはいないはずです。
 そのテクノロジーですが、電子楽器においては1920年代、録音技術は1950年代には使われています。暴論ですがポップスの始まりがビートルズだと仮定すれば、彼らが活動していたのは1960年代(wiki情報)ですから、時代に大きな差はありません。気付けば2010年代になっていますが、音楽は相変わらず停滞しており、ここ数十年ではあまり大きな変化を見せてこなかったように思います。しかし科学技術は大きく進歩し、3Dプリンタに始まり、バック・トゥ・ザ・フューチャーの空飛ぶ車、ウェアラブル端末など、十年前の私では予想すらできなかったであろう新しい物が登場しました。
 ところで私は音楽と科学技術における明確な違いを現段階では上手く説明することができません。音楽においては50年前でも100年前でも一緒ですが、「過去の作品を新たな、もしくは独自の解釈で演奏する」ということを演奏家が行っています。現代作曲家の新曲よりもベートーベンやショパンの作品が圧倒的に人気なので、それらの作品の魅力をより豊かに出来ても、時代を前に進めることはあまり無いように思います。また、テクノロジーを用いた作品もすでに飽和状態にあり、なかなか新しい作品を作るというのは難しい状況でしょう。強いて挙げるとすれば「需要」でしょうか。商業音楽を含めずとも、科学技術に比べると音楽は娯楽的性質が強いため、生活を「便利」にすることは当然出来ません。どうしても社会全体に還元できる訳ではないので音楽の進歩が遅れている、と仮定できたとしてもそれは仕方ないや、で終わらせてはいけません。
 新たな音楽作品に繋がるかは分かりませんが、最近スピーカーの存在に違和感を感じています。電子音楽は全てスピーカーを通して聴くことができるようになりますが、人によって使うものは異なります。それで果たして作曲家の意図した音響を聴くことはできるでしょうか。また、テクノロジーは私たちの生活に自然な形で浸透していますが、電子音楽は相変わらず箱に取り付けられた紙からしか私たちに聞こえません。その基本システムから、より日々の生活に溶け込む新たなテクノロジーが生まれれば、作曲家が影響され新たな作品を作るきっかけになるのではないかと睨んでいます。10年、20年先には何の違和感もないような素敵な作品を作ることが出来るように、多くの思想にふれ、広く社会を見ることが出来ればと思います。

息抜きなのに疲れる、という矛盾。最高。

面白い科学技術があったら教えてください。

おやすみなぱい。

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