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2014/03/08

表現手段としての音楽


   みなさんこんばんは。ようやく先日の卒業演奏会が終わったので一息ついているところです。指揮棒ぷるぷるでした。ぷるぷる。

さて、今回は作曲について考えたいと思います。


作曲とは「今まで存在していなかった新たな曲を作ること」と考えられるでしょう。これは小説や絵などにも当てはまるかと思います。もしその行為が無ければ今聴くことができない曲がある、と考えると非常に意味のある行為であることが分かります。例えばAKB48の「フライングゲット」は今では誰もが知っている有名な曲ですが、これを90年代に聴くことはできませんでした。

この曲にも作曲者の創意工夫が組み込まれているはずですが、とはいえ曲を構成しているものは全く新しいではありません。以前からあるコード進行を用いて、以前からある楽器の組み合わせで、もしかしたらどこかにあるようなメロディーを付けているだけです。

何かを作り出すということは、「今までの枠組みの中で新しいものを作る場合」と「全く新しいものを使う」ということの2種類があるかと思いますが、上に挙げた物は前者に当たるでしょう。後者は適切な例が思い浮かびません。ジョン・ケージによる《4’33”》でさえ、それまでの流れを受けて作られたものです。

結局は枠組みの中で作ることになるかと思いますが、作るだけならさほど難しくはありません。問題なのはその曲が有名になるか、さらに後まで残るかということです。ベートーベンの《運命》や、《エリーゼのために》を知らないという人は恐らくいないかと思います。亡くなってから、もしくはその数年後に再評価されるという場合もあるかとは思いますが、できれば生きているうちに評価されたいものです。

そこで重要になるのが、「芸術性」と「大衆性」のバランスです。非常に芸術的な作品を作ってもそれが受け入れにくいものなら広まらないですし、逆に分かりやすいものを作ればレベルの高い作品とは言えなくなる可能性があるでしょう。しかし、聴くシーンに合わせて芸術性の高い曲、大衆性の高い曲のそれぞれがあることは良いことだと思います。いつもはファミレスでハンバーグやカレーを食べているけれど、たまには高級料亭で…というのと同じだと思います。いくつか作法を身に付ける必要がありますが、それさえ覚えれば芸術性の高い曲も十分に楽しめることができるかもしれません。

かの有名な坂本龍一は「たとえば、一生かかっても僕が会うことがないだろう、ルーマニアの小さな村のおばちゃんが、たまたま僕の音楽を耳にして、『ああ!』と思ってくれる音楽を作ることができるのか。そこが僕の基準です」と述べています。ですが僕の場合は「ぴよたくの楽譜買っちゃった♪ これからみんなで弾くの楽しみだな~」とTwitterでつぶやいてくれる人がこれから一人でもいてくれたらいいなと思っています。

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