こんばんは。
明後日、授業オーケストラの本番があるので絶賛練習中です。
色々な人に指導されるのは新たな発見がたくさんあっていいですね。
ちなみに今までで一番カオスなレッスンは、「先生と机を挟んで立ち、初見の楽譜を見ながら伴奏なしで指揮をする」というもの。
伴奏なしなので、音は全て脳内再生。
しかも先生に至っては楽譜さえ見てないのに、「そこは弦楽器に合図出して」みたいな指示が来ました。
隅々まで覚えておくのは大事なことですよね。反省です。
さて、タイトルに戻りますが、結論おもしろいですよ。
「え~? 作曲なんてよくわからな~い☆☆」というお声が飛んできそうですが、「作曲なんてでっち上げ」という言葉も頻繁に耳にします。
高尚そうに見えて、実はそうでないんですよ、意外と。
たぶんそう思われるゆえんは抽象的な、精神性とか哲学とか宗教とか愛とかいう物が絡んでくるからでしょう。
作曲自体はドレミ「とか」を並べるだけの簡単なお仕事です。
場合によっては生き生きとしていない音楽が出来てしまうこともありますが、それは、たんぱく質とか水分を寄せ集めても生命体ができないのと同じことです。
命を吹き込む作業が作曲家の仕事です。
(手癖だけでなんとなく曲ができたっていうのは本来のcompose(構成する)じゃなくてarrange(配置する)だよね。だからひねくれたことをしてみましたなんてお料理番組みたいな曲解説がゴニョゴニョ…)
そう、命を吹き込むのって演奏も大変だけど作曲も大変です。
どんな曲作ろう
↓
心に浮かんだメロディーを使って曲を作る
↓
薄っぺらくないか?
↓
考えに考えたメロディーのほうがいいのでは?
↓
考える
↓
思い浮かぶ
↓
でもこれって心に浮かんだメロディーじゃん
新しい曲を作りたいから変な組み合わせにしよう!
↓
前例があった
↓
新しくないじゃん
↓
いやでも自分がやるから意味があるんだ
↓
結局その前例に似てる
↓
新しくない
似たような堂々巡りを飽きるほどやって、新曲が生まれます。
そう、生まれるんですよ。
だから作品っていうのは、さながら自分の子供のようですね。
子供いないけど。
子供が評価されていればうれしいし、悪口を言われていたら自分のことよりも腹が立つ。
色々な人に知ってほしい、評価してほしい。
それによって作品の新しい魅力が出てきたら、成長したようなもの。
どれだけ腹立たしくても、勘当して存在を消すことはできない。
っていうのが作曲であり、作曲家ですよね。
タイトルは、教育実習中に指導教員が鼻で笑いながら言った言葉です。
目の前に専攻生がいるのに、よくそんなことが言えるなと未だに腹が立ちます。
しかも指導教員なのに。
きっと彼女は今もその面白さには気付いてはいないでしょう。残念ですね。
別に作曲だけが全てではないのでやるやらないは自由ですが、曲の見方は大幅に変わります。
思い立ったが吉日。素敵な作品を作ってください。
ちなみに僕は片腕、内臓みたいなパーツばかりできあがりますので、思いっきりくっつけて人造人間タイプの曲を発表したいと思います。
思ったより眠い。床ニスト(※※床で寝る人の意)ですが布団で寝ます。おやすみなさい。
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