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2015/02/25

音楽における電子機器

 こんばんは。卒業旅行シーズンですね。


節約をしては毎週のように温泉に浸かり、豪勢な食事を楽しんでいます。


片付けの方にも精が出ておりまして、今日も昼間数時間ほど部屋の中をかき回していました。


また、ゴジてれを見ながら洗濯を干す画はさながら主夫のようでもあり、大学院卒業後はいい旦那さんを見つけた方が良いのではないかと時折考えています。






 さて今回は機械と音楽のお話です。改めて考えてみると、身の回りには様々な機械が浸透しており、音楽分野においても似た傾向が見られます。


好きなところで音楽を聴くことが出来たり、パソコンの中で曲を作ることが出来たりする、これら全てに電気とスピーカーが関わってくるのですが、それについては後日に改めます。


僕の専門楽器(?)であるシンセサイザーも1980年代頃には様々なタイプのものが作られ、今では生楽器に肩を並べるほどの知名度を持っています。


つい100年前までは音色や奏法といった生楽器の可能性を広げるべく多くの音楽家が悩んでいたと思いますが、現代では音のパレットが尋常ではない広がりを見せ、まさに「何でもできる」といった状態になっています。


機械が生楽器の可能性を広げたことは言うまでもなく、サンプリングによって素材として用いたり、エフェクターを使ってより自由な音色を作ることも可能です。


しかし私たちは一度立ち止まって考えなければなりません。果たしてそれが本当に必要なのか、と。





 先日の卒業審査会で、大学院の先輩が作った音の鳴る遊具を曲に用いた際に、その音を録音してエフェクトをかけ曲に用いたという説明がありました。


それに対して、ある教授が「なぜ編集するのか。子どもたちが遊んだ時になる音こそが、この遊具の真の音なのではないか。」ということを言っていました。


確かにその通りで、先輩も上手く説明出来ていませんでした。審査会では僕もピアノの音にSPX1000のリバーブをかけた曲を再生しましたが(Vanishing Point)、この曲は2つの素材を調性も音の粒も不明瞭にするというテーマがありました。消失点ですから。


 また、昨日後輩に「サックスにディストーションをかけるのはどうでしょうか」と言われましたが、一瞬でナンセンスだと思ってしまいました。


サックスの本来の音では無いからです。


ですがそもそも「本来の音」ということを考えれば、楽器までの距離や演奏する場所、楽器ごとの個体差を考えれば「本来の音としての傾向」ほどしか限定することができません。


そもそも、チェロにエフェクターをかけまくって有名になっている二人組もいることですし、結局のところナンセンスと考えること自体ナンセンスなんでしょう。





 理想の音楽を組み立てることは、演奏においても作曲においても全く同じで、一切の妥協を許してはなりません。


たとえ聴き手に分かってもらえないような細かいことでも、こだわって、こだわって、こだわり抜くことが大切です。


後々個性として認めてもらうことができる部分がそのこだわりになる可能性があるためです。


その過程の中で電子的な操作が必要であれば使えばよいでしょう。


奇をてらって使うことは、結局その人のためになりませんし、評価もされません。


演奏家・作曲家の意図が十分にあってこそ、深みや奥行きのある味わい深い音楽が生まれるのです。


少々ずれますが、演奏の前後に「あまり練習する時間がなかった」「もう少し上手にできた」と弁解するのは演奏家としてどうかと思います。


たとえそれが趣味であっても、その時点で行える最高の演奏をするべきです。聴き手はお母さんとは違います。


言い訳をしたからと言って、誰もが暖かい心で見てくれるわけではありません。








 今後の音楽がどのようになるか、自分の作風がどのように確立されるのかは全く考えられませんが、言えることはただ一つです。


3月14日に卒業演奏会を音楽堂で行いますので、皆さん是非お越しくだぱい♡14時開演です♡来れない方もいると思いますので、つべの方にうpしたいと思います♡是非再生数をあげてくだぱい♡






 ところで、気付けばこの日記も、始めてから丁度一年が経過しました。


閲覧数は今現在で1703人です。


多いのか少ないのかは正直分かりませんが、今後も自分の稚拙な考えをアウトプットする場にしたいと考えています。


ちなみに投稿動画の再生数は170なのですが、来年度からは曲をたくさんアップロードしてユーチューバーにでもなろうかと思います(冗談)。


皆さん、お付き合いよろしくお願いします。

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